日々の色々-from 2004-

2004年からはてなダイアリーでブログを書いてきました。2018年11月はてなブログに引越し。タイトルも変えました。尚、行政書士は2020年3月末にやめています。

2分の1成人式

近年、多くの小学校で行われている「2分の1成人式」というものをご存知でしょうか。
この行事に警鐘を鳴らしている方がいます。名古屋大学大学院教育発達科学研究科・准教授の内田良先生です。

▼2分の1成人式 「感動」必要か? ―親からサプライズの手紙、子から感謝の手紙

10歳になる小学4年生の行事だそうです。
行事は式の形と教室でのイベントの両方で形成されているようです。
式では校長からの祝辞、小学校の行事ではお決まりの児童の呼びかけ、それから2分の1成人証書の授与というのもあるようです。
余談ですが、成人が18歳になったら、3年生の行事になるのでしょうかね。


教室でのイベントでは、子どもから親へ感謝の手紙を渡し、サプライズとして親から子どもにも手紙を渡し、生まれた頃の写真や命名の由来を発表するというようなことも行われ、感動を呼ぶ行事となっているとのこと。

問題はこのイベントが、子どもを生まれた時から大切に育ててきた幸せな家庭を前提にした行事であることに尽きます。

最近はどうかは知りませんが、幼稚園や低学年の子が、母の日に赤いカーネーションを作って渡すという習慣がありました。私が子どもの頃は母親がいない子は、白いカーネーションを作って父親に渡すということもあったように記憶しています。子ども心にも可哀想な話だな、と思った覚えがあります。

この2分の1成人式のイベントも根っこはこれと同じように思います。大多数が幸せな家庭ならいいだろうという、気くばりの無さとでも言いましょうか。世の中、色々な家庭があります。未婚家庭・離婚家庭・再婚家庭、祖父母が育てている家もあります。養護施設で育つ子もいます。途中から養子にしたことを内緒にしている親もいるかもしれません。命名だって、画数を考えてつけたのに、離婚による改姓・更には再婚による再度の改姓によって、画数もへったくれも無くなった子もいるはずです。それぞれ事情は個別に違います。家庭が決して幸せな子ばかりではありません。私の知り合いにも「姉妹の中で、自分だけが可愛がられなかった」と思いながら大人になった人がいます。

この行事はとにかく感動が売りなのだそうです。つまり、いかに感動を盛り上げようかと学校が策を練った結果が、一部の子どもの心を踏みにじることになっているわけです。思ってもいない感謝の言葉を書かなければならない子もいるでしょう。赤ちゃんの頃の写真が無い子もいるかもしれません。複雑な家庭の状況がばれてしまうことを恐れる親や子もいるでしょう。

そういう子が例え一人しかいないとしても、これはやってはいけないイベントだと思います。
日本人は、今まであまり人種や民族が多様化していなかったせいか、マイナーな人のことを考えるということを忘れがちです。でもこれからはますます多様化も進むでしょう。画一的な考え方は脱するべきではないでしょうか。


また、この行事で私が違和感を覚えるのは「子どもからの感謝の手紙」というものです。おかしくないですか?子どもを大人が育てるのは当然のことです。感謝される筋合いのものではありません。どうして子どもが親に感謝しなければならないのでしょう。子どもに感謝されたら居心地悪いと思うのは、私だけではないはずです。そのあたりの考え方のずれも非常に気になります。

2分の1成人式は、七五三のように単純に子どもの成長を祝い、大人の入り口を自覚させるという線に沿った内容にするべきではないかと思います。