家を継ぐって?
新聞やテレビを見ていると、「世の中、こんな名字があるのか!」ということが、毎週のようにあります。
また、友人の中にも珍しい名字の人がいて、「自分の親戚以外で同じ名字の人に会ったことがない」などと言います。
そう、そんな珍しい名字というのも武士の家でもなければ基本的には明治時代に作られたものです。
さて、一般に「家を継がないと」と人が言う時、その「家」は何を指しているのでしょうか。まあ、農家の人なら農地&広い家の敷地を指しているのではないかと思います。
また素晴らしい伝統工芸品や芸能関係の家でしたら、その技なのでしょうし、漁業や商売をしているような家ならその生業ですね。
それではさしたるものを持たない人は、一体家の何を継ぐのでしょうね。今は単に家の跡継ぎと言う時、単に名字を受け継ぐ人となっているような気がします。もう少し言えば、せいぜい墓守ですかね。
名字を継ぐってどれだけ大事なのでしょう。先に書いた通り、大体の人の名字は明治以降に作ってつけられました。それってそんなに大事ですか?
今の時代、名字がある方が無いより便利ですけど、その名字と家とを当然のようにセットだと思うのは考え無しのように思います。
名字は個人の符号の一部だという考え方もできます。どうせなら名字も自由につけられるようにすべきだと私は思っています。墓は無縁墓を増やさないためにも共同墓にするべきでしょう。
名字が一緒なのが家族だなんて、ただの幻想です。
そういう幻想に浸っているから、日本は個人が大切にされない社会になりがちなのです。