日々の色々-from 2004-

2004年からはてなダイアリーでブログを書いてきました。2018年11月はてなブログに引越し。タイトルも変えました。尚、行政書士は2020年3月末にやめています。

常識のライン

常識とは、『デジタル大辞泉』によれば、「一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力」だそうです。

ここで重要なのは「共通にもつ」つまり、他の人と認識が一致していることです。

しかし実際は、人によって或いは家族によって、地域社会によって、そして国によって、更には時代によって常識と思うことは違ってきます。私は相談をお聞きしながら、その方の常識と思うラインがどの辺りにあるのかをつかむことを大切にしています。皆さん、自分の思う常識こそが一般的なことだと思っています。時々、びっくりするような常識をお持ちの方もいます。でもその方の例えば家族の中ではそれが共通意見であれば、なかなかそれを自分で疑うというのは難しいことなのだと思います。


夫に不倫をされた方がよく口にする言葉に「他人の夫に手を出してはいけないというのは常識でしょう」というのがあります。更に「どうしてこういうことをする人がいるのでしょう。私には理解できません」と続いたりします。

そうです。自分が不倫をするなどあり得ない、不倫は絶対にしてはいけないこと、と固く思っている人には不倫をする人は「非常識な人」、そして「深く反省し謝罪すべき人」なのです。

しかしそのことは本当に常識でしょうか。例えば、不倫が当たり前によくある職場(そういう業界はあります)では、不倫はしてはいけないことでは無くなっています。その社会では不倫は特に悪いことではないばかりか、他人に勧めたりもするものなのです。常識のラインが違うのですね。

また親が不倫をしている(た)家というのも当然ながらあります。そういう家に育てば、不倫というのはよく起こりうるもの、仕方がないことだと思うようにもなったりするわけです。


そして常識のラインが違うと話し合いになりません。悪いことと思っていることが違うのですから。

現在、不倫は他人の権利を侵害する不法行為として、慰謝料請求できることになっています。それは社会の常識が今はその辺りにあるだろうと、裁判所が判断しているからです。社会の常識ラインはいつも一定ではなく、時代と共に変わります。裁判所の判断もまた変わる可能性は十分にあります。

そしてまた、現在国は道徳を教科にしようとしています。つまり、国が常識としたいことを子どもに植え付けたいということなのでしょう。とっても危険なことだと思います。