日々の色々-from 2004-

2004年からはてなダイアリーでブログを書いてきました。2018年11月はてなブログに引越し。タイトルも変えました。尚、行政書士は2020年3月末にやめています。

置き去りにされた子は

昨日のブログに児童養護施設の話がコメントされましたので、そのことについてちょっと。赤ちゃんポストでもその辺に置き去りにされても、赤ちゃんたちが育てられるところは乳児院(通常0-1歳くらい)や児童養護施設です。

私は学生の時、児童文化研究会というところに所属して、毎週児童養護施設にボランティアとして通っていました。(一応、専攻が教育学でしたので)子どもと遊んだり、中学生の勉強をみたり、クリスマス会などイベントでは劇をやったりとかです。もう、22年も前のことですから、今とは事情が違うとは思いますが、どういうところなのかを書いてみます。

私が通っていたところは、自然豊かな田舎にあり、子どもは3歳から高校生まで。高校は公立に受かることが条件で、落ちると就職し、施設を出なければなりません。平成14年度では施設の子は8割が高校に進学しているようですが、それでも全国平均97%よりははるかに低いと思います。子どもたちには自治体から毎月おこづかいが出ますが、田舎で買い物をするところがないので、みんなお金が貯まっていて、月に一度、近隣のやや大きな町まで買い物に行き、結構ほしいものが買えるようでした。

最近では親の虐待により入所する子が多く、満杯とのことですが、当時は虐待による子は殆どいなくて、親との死別、親の病気、片親で仕事が長距離トラックのドライバーなどで育てられないとか借金による親の蒸発など、背景は様々でした。

部屋は男女別で縦割り。各部屋に担当の保育士や児童指導員がいて、「お姉さん、お兄さん」(実際はおばさんという感じですが)と呼ばれ、施設長夫妻が「お父さん、お母さん」(こちらも実際はおじいさん、おばあさんなのですが)と呼ばれていました。

今思うと、四六時中集団生活というのは、子どもにとって本当に苛酷なことだと思いますが、上の子は下の子をよく面倒みていました。でも、施設に来たばかりの子は、そんな集団生活に慣れていませんので、最初はちょっとみんなからいじめに遭います。そういうことを通して、自分を押さえて集団の中でうまく暮らす術を得るようでした。子どもってわがままなものだと思うのですけど、みんなそういうのを出さないところが、とてもいじらしく切ないものを感じたものです。

可愛そうなのは、年末などに親がいる子は迎えが来ること。迎えの無い子には辛いことです。それから部屋の担当の保育士さんも、シフトで勤務しますので、いつもいるわけではありません。仕事が終われば帰るというのは、公私を分けなければならない保育士さんにとっても辛いことのようでした。

また、なかには養子となって施設を出る子もいます。東京都でも短期の里親を募集していますが、そういう短期の生活を通して、気に入られると養子となるようです。女の子で成績が良い子が有利とのことでした。

以上が私が見たかなり以前の施設の様子ですが、当時でも都会の施設はまた違うということでしたので、今はもっと色々違うとは思います。虐待を受けた子の精神的ケアも大変だろうと思いますし。

赤ちゃんポストは子捨てを助長するとかで、反対の声は依然大きいかもしれませんが、ポストが無くても育てられない赤ちゃんは生まれてしまいますし、殺されるより、危ないところに置き去りにされるよりはずっと良いと私は思っています。でも産んだ子のことは母親もそして父親も忘れないでいただきたい。施設で育つって、子どもにとっては大変なことですし、一生を左右することなのですから。