行政書士になってからの日々の色々

2004年に東京都小金井市に行政書士事務所を開業し、はてなダイアリーで「女性行政書士でもある武石文子の日々雑感」を書いてきました。2018年11月はてなブログに引越ししてタイトルを変えました。事実婚・離婚・不倫・遺言・相続が得意分野です。日本語教師もやっています。

早稲田学報


息子は早稲田大学の大学院に在学中だが、学部は卒業しているので、卒業生に送られる「早稲田学報」というのが毎月毎号届く。112ページもある立派な冊子だ。


そして息子は読まないが、届く活字は何でも手に取る私は毎号読んでいる。主に早稲田大学の卒業生をテーマに雑誌が組まれているので、興味のある号無い号ある。先月号は作家がテーマだったのでかなり面白かった。


さて、私は地方の旧制男子中学から続くバンカラな県立高校出身である。当時は男女比が3:1だったので、男子に負けない女子が通う学校だった。その高校では早稲田大学と慶応大学への合格者数が2:1位の割合だった。地方のバンカラな高校はみんなこういう感じではなかったのだろうか。


私立文系志望だった私も当然のように早稲田大学への進学を希望していた。高校生の時、夏期講習や冬季講習に東京まで出してもらったのだが、その予備校も高田馬場にあり、「早稲田」の文字が付いていた。


しかし、受験の結果、早稲田大学の第一文学部と教育学部には入れてもらえず、慶応大学の文学部へと進むこととなったのである。当時はバブルに向かって世の中が華やいでいる時代であった。慶応のキャンパスには毛皮のコートを来た女子学生が闊歩し、皆テニスラケットを抱えていた。私はその中で毛皮は着なかったけれども、テニスラケットを抱え、冬はスキーを楽しむ、それなりの女子大生をしていた。


そしてその後偶然に、同じ大学同じ学部同じ学科(専攻は違う)卒だけど、学生時代には知らない人であった夫と出会って結婚に至っている。夫もこれまた早稲田大学にふられて、慶応大学に入った人であった。


さて、話を早稲田学報に戻すと、学報には卒業生が昔を懐かしがって書いているページが散見する。同世代の卒業生が書いているものを読むと、私が想像していた早稲田大学そのもので、それを読んで久しぶりに「早稲田大学志望」だったことを思い出したというわけである。


もし、私が早稲田大学に入っていたら、今とは違う人生だったかもしれない。夫とも出会っていなかっただろう。大学入試は人生の分かれ道の一つである(ついでに書くと息子は慶応大学に落ちている)。


もうすぐまた大学入試の季節がやってくる。志望大学に進めない人も沢山出るに違いない。でもどこの大学に入ろうともその後の人生はその人次第であるのは確かなので、それだけは言っておきたい、というようなことを言う年になったなと思う昨今なのである。