日々の色々-from 2004-

2004年からはてなダイアリーでブログを書いてきました。2018年11月はてなブログに引越し。タイトルも変えました。尚、行政書士は2020年3月末にやめています。

受験について思うこと

今年は、双子の息子が大学受験でした。結果は一人は大学生になり一人は大学生になれずに予備校に通うことになりました。取り合えず一旦終わった息子の大学受験、そして自分が見聞きした友人・知人の受験を通して、前々から思っていた受験に対する考えと体験をちょっとまとめてみたいと思います。

日本の受験制度は全ては東大を頂点とする「いい大学」に入るためにできているとしか思えない制度です。数で言えば、全国の多くの子供は高校受験が最初の受験であり、そして6割の子供は大学に進学します。しかし、都会に住んでいると、受験は幼稚園・小学校・中学校・高校・大学と各段階あり、どの段階でどこに入るかが大問題になります。

まず最初に自分のことを書きますと、私自身は茨城県の県庁所在地水戸市の隣のひたちなか市(旧勝田市)出身です。公立小、公立中から水戸市にある進学校と言われる県立高校を出て、現役でいわゆる有名私立大学文学部に入りました。高校受験は特に塾にも通っていません。大学受験の時は高3の夏と冬に東京の予備校の講習会に通いましたが、そんなことをする同級生は他にいなかったのではないかと思います。せいぜい、地元の予備校の講習会に通うか、学校の受験用補習授業を受け、みんな自分で勉強するのが当り前でした。

その頃のことで、今でもとてもよく覚えているシーンがあるのですが、高校2年か3年の時、多分代々木の予備校に模試を受けに行った時だったと思います。ファーストフード店の隣の席に小学校高学年と思われる女の子が一人でいました。その子はそこで勉強をしていました。とても青白い顔で。何だかぞーっとした記憶があります。それが中学受験勉強をする小学生を初めて見た時でした。小学生がどうして?、と思ったものです。都会ではその頃でも中学受験というのが重要視されていることを、大学に入って初めて知りました。中高一貫校や大学の付属学校から来ている人が多数いたからです。そんな人達に中学受験の話を聞くと、ストレスの多い状況だったことがよくわかりました。中学受験に対する懐疑心というのはこの頃にははっきりと持っていたのかもしれません。

ただ、大学の付属学校からエスカレーター式で入ってきた人達は、過酷な大学受験を経ていないので勉強疲れが無く、余力があって、それはそれである意味羨ましいとは思いました(ただ、受験勉強をしていないので、一般的な英語力が不足している人を多く見かけましたが)。

さて、ここからは自分の子供ができてからの話です。子供が生まれた頃、私は出版社で編集の仕事をしていました。当然ながら、子供は生後10ヶ月から公立保育園に入れました。自分も夫も日々疲れきっており、小学校受験など考えもしていませんでした。小学校受験と言えば「お受験」と言われ、それ用の塾があって、小学校の入試問題を見れば、保育園育ちのうちの子供が太刀打ちできるようなものではありません。

しかし一方で、公立中学校に対する不信感というのもどうしてもありました。自分が出た公立中時代のことを思い起こしても、くだらない規則で規制されることにいつも反発していましたし。しかし、中学受験はしたくないというのもその頃やはり強く思っていました。夜の9時過ぎに進学塾の鞄を背負った子供たちが街中を歩いていることにいつも違和感を覚えていたからです。小学生が遊ばなくて、いつ遊ぶと思ったものです。

その頃、ある母親が書いた中学受験の体験記の本を読みました。それはそれは過酷な受験勉強生活でした。子供が大変なばかりか、親も大変だったのです。塾から帰った後に勉強をみて、日曜は毎週テストに遠くまで連れて行き、それでも第一志望の御三家には受からず…。それを読んで「私には絶対に無理。中学受験の親をするのは」とかたく思いました。この本を読んだのは決定的でした。そしてまたその頃、共働きの知人が子供を有名小学校に入れ(祖母が塾に連れて行ってくれていた)、その知人の「私立小の学費は保育園の費用と大差ないわよ」という言葉に強く背中を押されたのも事実です。この頃から、小学受験に気持ちが傾いていきました。しかし、塾に通わせる余力はありませんし、そうしたいとも思いません。また、あまり遠くの小学校まで通わせたくないというのもありました。

近場の学校を三校ほど見に行き、とても自由な雰囲気が気に入った小学校一校だけを受験することにしました。特に受験の準備はせずに、面接に備えてちょっと練習したくらいでした。倍率も低くお受験校ではないその学校の受験はうちの子供にも合っている感じで、ゲームやパズルやお絵かきを楽しく終えてきた二人は無事合格して、私立小学生となりました。

お受験校ではないため、子供たちにあまり同質性が無い点は良かったとは思いましたが、やはりそこは私立ですので、経済的にはある一定レベル以上の集まりであることは事実です。世の中は多様な人で成り立っているということを学ぶには不足しているとは思いました。

その学校は高校までありましたが、高校は進学という面ではそれほどのレベルにはなく、大学受験をするには塾通いが必須であると考えました。我が家の経済力では二人を私立高校に通わせながら塾にお金をかけるのはかなり厳しいものがあります。それで、私の中では、この学校には中学まで通わせて高校は都立に行かせようと思っていました。

ところが石原都知事が誕生後、君が代斉唱の強制ということが都立高校で行われるようになりました。私自身が公立でありながら、生徒の意思を尊重する自由な雰囲気の高校を出ていたこともあり、強制は許しがたいことにしか思えませんでした。石原都知事は再選、再再選し、子供が高校生になる頃も知事である公算が大でした。こうして都立高校の魅力は急激に失せ、我が家はあの忌避していた中学受験を考えるようになったのです。

但し、どうしても進学塾に行かせる気にはなれません。狙いはレベルの高くない国立中、近隣の私立中2校にし、勉強は私がみることにしました。また、双子が互いに頼りすぎているというのも気にかかっていたため、できれば二人を違う学校に行かせたいとも思っていました。

同じ小学校に通う仲の良い男の子は、自らもっとハイレベルな環境を望み、受験を希望しましたが、うちののんびりとした息子達は受験は言われてするものでした。後から考えれば、成長がまだ受験に対応できるところまで届いてはいなかったと思います。

ただ、周りの友人たちの子供の中学受験の様子をみても、合格しても失敗だったと思える受験もあり、中学受験というのは本当に難しいものだと実感することがたくさんありました。

子供の成長の速さは様々で、まだ熟していない子供を受験に向かわせるのはマイナス面も大きいですし、また受験に失敗して腑抜けになってしまう子もいます。更に運よく自分のレベルより高いレベルの学校に入ってしまうと、入ってからが大変で本人もコンプレックスの塊になって、大人になってもそれを引きずってしまうこともあります。御三家と言われる中高から有名私立大に入りながら、未だにコンプレックスを持っている知人や、私が見た幾つかの例から思うことは、中学・高校は無理して上のレベルの学校に入らない、けれどもある程度の刺激を受けられるレベルの学校に入ることが大事なのではないか、ということに尽きます。

反対に、中学受験をすると、どうしても今更公立中には入れられない、という思いが強くなり、最終的にはどこでも良いから私立ということで、深く検討もしないで入れてしまって失敗することもあります。何もそこに入れなくても、高校受験や大学受験でも巻き返せるということも肝に命じておくべきだと思います(うちの夫は無名の公立高校から有名私立大に入りました)。

また、私立中高は当然ながらお金がかかります。以前に雑誌で年収500万円で私立中に通わせているお宅が載っていましたが、かなり厳しい状況だと思います。更に学校の授業についていくのも大変なレベルだと塾にも通わせなければなりませんし、経済的に苦しんでまで行かせる価値があるのかという見極めは大事なのではないでしょうか。


しかるにうちの子供の結果はと言えば、二人とも私立中には落ち、国立中にのみ受かり、結局この後6年間同じ学校に通うことになりました。この学校は学力レベルが上から下までいるという多様な人々がいることを実感するには良い学校でしたが、授業のレベルという点ではいつも不満が残るものでした(子供的にではなく、私的にですが)。学校は下のレベルを押し上げることに注力する傾向があります。よって、上のレベルの子を更にレベルアップしようというのが無いというのは、それはそれで問題だと思っています(私は、どうしてレベル別にしてくれないのか、と学校に言ったこともあります)。

ただ、学費がかかりませんし、高校受験も無く、学校ものんびりとした雰囲気で親子共々かなり気楽な四年間ほどを過ごすことができました。高校受験が無い6年一貫校はそういう意味ではかなりお勧めです。ただ、学校が合わないと苦しい6年間になってしまいますし、実際に途中で転校する子もいますから、子供に合う学校選びは本当に大事だと思いました。

さて、こういう学校に通っていると、学校の授業だけで大学受験を乗り切るのはかなり大変なことです。私立の一貫校ですと、高二の段階で高校の学習内容は終わらせてしまうそうなので、それを聞くだけでも焦ります。

うちの子供はそんなのんびりとした学校に染まり、勉強も大してせず、それでもテストがあまり難しくもないので、まあまあの点が取れてしまったりという状況にありました。取りあえず二人には英会話を習わせ、数学が今一つだった子には中二の終わりから週一回だけ個別指導の塾に行かせました。個別指導は担当の先生によって成績が上がったり下がったりというのはありましたが、大学受験の勉強が本格化するまではそれで良しとしていました。

中学の頃、息子達は、子供の頃からのめりこんでいた恐竜が学べる古生物学の方面に行きたいと言っていました。ただ、親は二人とも文学部で親戚にも理系はおらず、子供も特に理数系ができるわけでもなく、いずれは文系を選択することになると思っていました。

ところが高2になると、今度は宇宙関係に行きたいと言い出しました(今もって、なぜそうなったのかはわかりません)。その頃も特に理数系ができるわけでもなく、得意科目はまず英語、次が現代文というどうみても文系でした。しかし、本人たちの意思は変わらないし、私も夫も大嫌いで大不得意な物理が好きだと言うしで、取りあえず高3の選択科目は理系重視の履修をすることになりましたが、ここでも私はいずれ文転するのではないかと思っていました。

ここで高2の冬休み頃から、二人を大学受験用の塾に行かせることにしました。二人に微妙に成績差があるので、敢えて私の考えで二人を別々の塾に入れました。

さて、大学受験では国公立を受けるのか受けないのかという問題があります。私も夫も理数系が苦手でしたので、当時の共通一次試験を受けていません。理系であっても私立だけを狙うのでしたら、国語や社会の勉強をする負担が減りますので、息子達にも勧めてみたのですが、二人とも国公立を受ける、と言います。理系で国公立も狙うとなると、科目数が文系より多くなります。数学はABCと1-3、理科もそれぞれ1,2とあり、塾でもそれぞれの科目を取る必要があります。そのため、塾代はかなり費やしました。私立高校に行かせていたら、難しかったと思っています。

そして、息子たちは文転することもなく理工学部狙いで、しかし相変わらず得意科目は英語(だけど、それが強みにもなった)という状態で大学受験に突入しました。問題はどこの大学に出願するかです。
塾は、安全校も勧めてきましたが、行かない大学を受けてもしょうがないと親も子も思っていましたのである一定レベル以上にし、かなり厳しい受験が予想されました。ただ、数を打てば当たるというのは私も自分の入試で実感したことでしたので、一人は私立一般入試4校、センター式2校、国公立前中後期各1校、もう一人は私立一般入試5校、センター式1校、国公立前後期2校と数だけは受けさせました。

そして結果はやはり元々成績が良かった方が三校に受かり(受かった時点で二校は棄権)、もう一人は一校も受からずとなったのです。

因みに大学生となった方はが入った大学は、親も子も(そして多分塾も)受かるとは思っていなかったので、かなり驚きました。模試でもE判定とかでしたから。中学受験の時に遥か上を行っていた友人も、その大学に落ちて浪人となっています。この息子は最後の1−2か月で急激に伸びたのだと思いました。

だからやはり思うのです。中学受験が全てではないと。知人のお子さんは、それこそ中学受験を頑張りましたが、御三家には届かずその下の私立中高一貫校に入りました。そこでもまた中1から塾に通い続け、だけど大学受験では今回うちの息子が入った大学には届かず、その次のランク(でも難関校ですが)に入り、そこで疲れが出て、今、この先を考えている状態にあります。小学生の時からずっと走り続けたのですから、当然だと思いました。

大学受験は人生のゴールではありません。受験で疲れてしまっては意味が無いのです。そして力が発揮できる年齢は人それぞれ違います。中学受験でうまく人生が回る人もいるでしょうけど、そうでない人もいます。また、どうしても人には能力の差もあります。よそとは比べずに自分の子をよく見て判断するべきではないかな、とつくづく思う次第です。